[BlueSky:06985] 田園回帰とジェイン・ジェイコブズ

Takeshi SUKA sayasuka_380878 @ kce.biglobe.ne.jp
2016年 4月 29日 (金) 18:53:21 JST


青空メーリングリストのみなさま

九州の地震で被害に遭われたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

ジェイン・ジェイコブズ(著)中村達也訳『発展する地域 衰退する地域 ――地域
が自立するための経済学』(ちくま学芸文庫, 2012年)という本を読みました。「雇
用・金融・エネルギー すべてを地産地消に」という帯の文句に惹かれ、この本は刊
行後すぐに買いました。けれども少しながめてそのままになっていました。しかし他
の本を読んでいるうちに、最近の日本における働き方のローカル志向や地方創生で注
目されている考え方とも関係があることに、あらためて気がつきました。そこで通読
しました。(以下、2941字です。)

ジェイコブズの本は、アダム・スミスやケインズなどのマクロ経済学への批判からは
じまります。そしてこれまでの経済学が前提としてきた国民国家の経済に、都市の経
済を対置します。

このようにジェイコブズは、経済発展の単位を「国」ではなく「都市」であると考え
ます。“かつては輸入していた財を、自力でつくる財で置換することによって、都市
がいかに成長し経済的に多様化するか”を論じます。そして“経済活動の拡大はすべ
て都市との有機的なつながりに依存する”と述べます。さらに、遠方の都市向けに特
定の産品を販売する地域は、その対価で購う輸入品を自前の技術や生産設備で置換す
る都市を産み出さなければ、得た財をただ消費するだけで発展から取り残されると指
摘します。一方、帝国や領土国家も、軍事行動や補助金や後進地域への不毛な設備投
資などによって、都市が産んだ富を失い、衰退するとします。この衰退の予防・回避
のための理論上の可能性として、ジェイコブズは通貨と主権の複数化を提案します。

こうした都市の経済発展の原動力としてジェイコブズが重視するのが、“生産財と
サービスのイノベーション、および臨機応変の改良を意味する「インプロビゼーショ
ン(improvisation)」”です。インプロビゼーションを生み出すもととなるのは、人
間の基本的な能力である創造性です。“人間にとっては、これまでの仕事の上に、さ
らに新しい仕事をつけ加えることはごく自然なことである。”経済的なインプロビ
ゼーションにとって都市が特別である理由は、“都市は修正自在型の経済であって、
そこでは……「新しい小さなこと」を確立することができるだけでなく、それらを日
常生活の中に取り入れることができるのである”と説明されます。

この本の原書が出版されたのは1984年です。ネット社会化が進み、環境と経済がセッ
トで語られるようになった近年の状況と異なり、ジェイコブズの考えた経済発展は、
工業化の時代までの社会をイメージの中心にすえているように感じられました。そこ
で脱工業化の時代において、ジェイコブズの論じたアイデアがどのような「インプロ
ビゼーション」を生み出せるのかが読者に残された課題であると考えました。

現在の日本でこの本を読む意味については、この文庫本に寄せられた片山善博氏(元
鳥取県知事)と塩沢由典氏(大阪市立大学名誉教授)の解説が示唆に富んでいます。

片山氏は、知事としての経験から、ジェイコブズの視角に共感を示します。そして公
共事業を例に、経済を論ずるとき国家を単位とするか都市や地域を単位とするかで、
いかにものの見え方がちがってくるかを示します。たとえば公共事業が需要を創出す
るといっても道路や橋やトンネルなどをつくれる企業が鳥取県にはなく、お金は県外
に流れてしまう。“あまりにも多くの財やサービスを域外に頼っている”ことが地域
の経済の弱点だ、と指摘します。そこで、「県経済の自立」や「地産地消」に取り組
んだということです。さらに“わが国の多くの地域では、使用するエネルギーのほと
んど全てを域外からの「輸入」に頼っている”として、その経済上・環境上の問題点
も指摘しています。

塩沢由典氏は、経済学者としての立場から、ジェイコブズの問題提起の意義を解説し
ています。“ジェイコブズの主張にはじゅうぶんな根拠があるが”、経済学に“根本
的な視点の転換を要求するもの”であるため、そういう転換をもたらすまでには至っ
ておらず、今でも経済学は国民国家を単位として考え続けているとのことです。塩沢
氏自身、ジェイコブズの論点を大きなヒントに具体的な研究に取り組もうとしたが、
むずかしかったそうです。ひとつの例として、“人々が交流することによるアイデア
の交換が新しい発想を生み出す機会を増やすのではないかという仮説の検討”をおこ
なったところ、否定的な結果(都市規模は関係しない)になったそうです。“ジェイ
コブズの考えを理論的・実証的に展開すること”はほとんど手つかずの課題で、新し
い研究課題の宝庫だそうです。

前者の片山氏の議論は、域内・域外の経済循環の区別が地域経済にとって重要である
ことを指摘しています。このような考え方は最近、「地域内乗数効果」という考え方
として紹介されています。地域内に投資された額のうち、地域内で循環する額の割合
によって、それが一巡・二巡と回ることで最終的に地域内に生み出される需要が変
わってくるという考え方です。イギリスで発展した考え方だそうです。藤山浩『田園
回帰1%戦略』pp. 156-161(農山漁村文化協会, 2015年)にわかりやすい解説があ
りました。藤山氏は、地域内循環を高めることで地域経済を活性化させている例とし
て、イタリアの山村をあげています。また「地域内乗数効果」の解説として、次の文
献を紹介しています。

福士正博(2005)地域内乗数効果の可能性.東京経大学会誌(経済学)241号
http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/economics/241/8_fukushi.pdf

藤山浩氏による「田園回帰1%戦略」と地域内乗数効果の考え方の解説は、枝廣淳子
氏を代表とするジャパン・フォーサステナビリティのウェブ・ページでも紹介されて
います。
http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035435.html
http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035469.html

後者の塩沢氏の研究(新しい発想を生む機会は都市の規模に関係しない)は、ジェイ
コブズにとって否定的な結果でした。けれども経済的なインプロビゼーションの機会
が大都市以外にも開かれているという意味で、地域づくりに取り組んでいる人たちに
もむしろ勇気をあたえてくれるものではないかと思いました。

関連して思い出した本に、松永佳子『ローカル志向の時代』(光文社新書, 2015年)
があります。この本は、都市圏から農山村への移住希望者が増えていることなどを背
景に踏まえつつ、“個人と社会の距離感が近くなってきている”ことや、“「地域」
が存在感を高めて”いることを、地域づくりや地域経済のさまざまな具体的事例で紹
介しています。ジェイコブズの『発展する地域 衰退する地域』も参考文献に掲げら
れており、「インプロビゼーション」ということばも出てきます。“「ローカル志
向」を深めている背景は、ソーシャルネットワークによって支えられている部分が大
きい”としており、「場所のフラット化」(“条件不利とされてきた地域がソーシャ
ル志向の高い若い世代の受け皿になってきている”ことなど)が指摘されています。

このように、国民国家の経済に都市の経済を対置したジェイコブズの論点は、30年あ
まりを経て、「田園回帰」や「ローカル志向」の動きともゆるやかにつながりうる状
況になってきているように思いました。環境と経済の両立をはかる「自然資本」や
「グリーンエコノミー」などの考え方が、こうした新しい動きとどのような接点をも
ちうるのかが、次なる問いとして、私のなかに残されました。

   須賀 丈






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